岡野つとむ・市民活動・議員活動レポート

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智福寺が落成(新築)しました! 喜びもひとしお


 12月3日、西大久保の智福寺が落成しました。建設に当たり「若者が進んで事に当ろう」との激励も頂き、全檀家皆さま、住職さま、工務店さま、先輩諸氏の皆々さまと力を合せ、智福寺の建設に携わらせて頂きました。
 智福寺の完成には嬉しさも倍増。智福寺が身近になり、これからも末永く(集い)・受け継いで参りたいと思います。なお、以下に杉山さんの『智福寺の思い出』を掲載させて頂きました。

          智福寺の思い出   杉山恒雄(西大久保)
 本日は、智福寺の落慶式にお招きを頂き参加させて頂きました。智福寺の思い出を一言お話し、頂きたいと建設委員長さんが来られて、お断り申し上げたのですが印刷物を見ると前にお世話になった寺世話人は私だけで、峯岸八郎さんは去り、栗原林平さんも病院に入院して私だけ残されてしまって居るので断ることもできず、出席することに致しました。私も年を取ったので記憶の力も無くなり、昔の事は忘れて居ますので思い出も違っているかも知れない。

 私が子どもの頃は草屋根の大きな建物でした。寺は西向きで広い庭でした。西大久保も昔は戸数も少なく62戸しか無く、寺の檀家も少なく住職も生活できないので無住寺で、荒井松儀さんの祖父母さんが留守番で暮らしていました。                              
 終戦後疎開で溝口さん一家が留守番で何年か暮らしていました。小久保一郎さんが川角の村長の時に市場、西大久保の道路が曲がりくねった道路で、道幅も狭くこれから時代も変わり、自動車時代が来る。消防自動車も通れないことになると新道を作ることになり、小島建設が請負、いまの道路になったのです。

 この時、智福寺も道路に斯かる(かかる)ので移転しなければならず、戸数も少なく公民館も無いので智福寺、兼公民館に使うようにあのような建物になってしまったのです。 
 明治12年に尋常小学校を作り、6年生まで義務教育で各市町村で小学校を作るように政府よりの御達しが有ったが、村には学校を作る余裕も無く、学校のできるまでお寺を借りて始める様になり先生も居ないので寺の住職さんが先生になり、寺子屋の学校が始まったようです。川角が浄光寺、大類は浄国寺、西大久保が智福寺、市場が満願寺などで校舎が出来るまで寺子屋で勉強したようです。

 私も長いこと皆様方にお世話になりましたが何の知識も無く、送ってしまい思い出・話にもなりませんが建設委員の方々にお骨折りを頂き、立派な寺が出来、誠に有難う御座いました。 
    
                         平成29年(2017年)12月3日
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